田中真紀子文部科学相が1日に着任し8日で1週間。
10年前の外相時代は、官僚との対立などから2002年に更迭された彼女ですが、
今回は就任直後から「立派な職に拝命(←任命されることを”へりくだって”いう語)できて、うれしい」
「昔から文科省を尊敬している」と“低姿勢”に終始。
文科省の幹部は「とりあえずは無難な船出」「安全運転な印象」と胸をなで下ろしているようですね。
では、更迭までされた10年前の外務省の大臣を務めていた頃の
田中真紀子氏はどんな感じだったのでしょうか。
現在、学校などでの「いじめ問題」に取り組もうとしている、田中真紀子氏ではあるものの、
外相時代のご本人による「いじめ」は、相当のものだったようです。
特に「秘書」への「いじめ」や「いびり」はひどかったと、当時の公設秘書が告白しています。
田中真紀子氏による「いじめ」はこんなものがありました。
■「指輪をなくした」と言って、秘書を怒鳴り散らした。
■経験がない秘書に「日程表を作れ」と命じたので、先輩秘書が作り方を教えようとすると、
その先輩秘書に対し、「自分のやることもできないヤツが、人に教えるんじゃない。茶碗でも洗え!」と怒鳴った。
■「コピーをしてファイルしておけ」と命じておきながら、途中で「コピー(の電源)を消せ」と指示してきた。
■ ある秘書が真紀子氏の指示通りに、国会の事務局に資料を取りに行ったが、別の秘書が資料をすでに真紀子氏に手渡していた。
その報告を受けた真紀子氏は、なぜかその秘書に対し「謝れ、謝れ」と繰り返した。
■精神的に参った秘書が、辞職を申し出ると、目の前で携帯電話の番号を全部消させた。
その後、その秘書に対し「明日も(ここへ)ちゃんと来るのよ。」と言っておきながら、
別の秘書には「(辞職を申し出た)秘書が議員会館に入るための)暗証番号を変えろ」と命じて、入れないようにした。
などなど・・・。
真紀子氏の公設第1秘書を約10ヶ月務めた穂苅英嗣氏は、
「理不尽としか思えない朝令暮改は、日常茶飯事だった」と話しています。
2日に「いじめの問題などに、最善を尽くして参りたい」と意気込みを語ったばかりの田中真紀子氏ですが、
今回の野田首相による任命は適材適所と言えるのでしょうか?
とりあえずは”低姿勢”を見せている真紀子氏ではありますが、
ちょっと先行きが不安に感じられるのは私だけでしょうか・・・。
田中真紀子氏の今後の、言動や行動によっては、
野田首相の任命責任も問われてしまうことになるのでは・・・と思ってしまう今日この頃です。
それにしても、「いじめ」って怖いですね・・・。