映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)さんが、

15日午後、肺炎のため神奈川県藤沢市内の病院で亡くなりました。

80歳でした。

 

1978年「愛の亡霊」でカンヌ国際映画祭監督賞、

1983年には「戦場のメリークリスマス」で毎日映画コンクール日本映画大賞などを受賞した方です。

ところが1996年、「御法度」製作発表直後、出血性脳梗塞(こうそく)で倒れ入院しました。

後遺症は残ったのですが、1999年に「御法度」を完成させ、

カンヌ国際映画祭に出品し、毎日芸術賞を受賞しました。

 

妻は女優の小山明子さんです。

ところで、大島渚監督といえば、 「野坂昭如との喧嘩」のエピソードが有名です。


これは大島渚監督と妻・小山明子さんの結婚40周年記念パーティーで、

友人の野坂昭如さんに祝賀のスピーチを頼んでおいたときのことです。

野坂さんは几帳面に原稿を書いて準備して出席していました。。

様々な方が次々と祝辞を読み上げていく中で、野坂さんはなかなか呼ばれません。

【野坂昭如さん】

野坂さんは自分の番が来るまで、イライラしながら待っている間、

「自分のスピーチの指名いつ来るのか!?」と、目の前にあるたくさんのお酒を飲み続けてしまいました。

ところが、ところがです。

結局、野坂さんには何時間も祝辞のスピーチの順番を待たされたまま、何とそのパーティーがお開きになってしまったのです。

 

しかし、大島渚監督は、会場にいる野坂昭如さんが、

まだスピーチしていないのに気づいて、あわてて、野坂さんを壇上に呼び、彼にスピーチをしてもらったのです。

しかし、そのとき事件は起こりました。

ケンカの発端は、野坂さんが結婚40周年の祝いの原稿を読み終えたところで、

大島監督が「ありがとうございました」と油断しているその顔に、酔った勢いもあってか、いきなりパンチ をくらわしたのです。

大島のネガネは飛び、よろけました。

 

野坂さんのパンチに、大島監督は「(祝辞の出番を忘れて)失礼ではあったが、殴ることはないだろう!」と反撃。

持っていた マイクで野坂さんの頭を二回ほど殴りつけたのです。

この取っ組み合いは昭和時代にも歴史を残すような派手な大人同士の喧嘩だったから、

とても印象に残っています。

最後に野坂氏と大島監督の喧嘩シーンの動画を貼り付けておきますね。

大島監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

【大島渚さんと 野坂昭如の喧嘩・動画】